蟹工船 リンク集
『蟹工船』(かにこうせん)は、1929年に全日本無産者芸術連盟の機関誌である雑誌『戦旗』で発表された小林多喜二の小説である。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、いくつかの言語に翻訳されて出版されている。
著者小林多喜二(-1933年2月20日)は没後50年が経過しており、著作権が失効しているため、本作は後述のサイトにて無料で読むことができる[1]。
この小説には特定の主人公がおらず、蟹工船にて酷使される貧しい労働者達が群像として描かれている点が特徴的である。蟹工船「博光丸」のモデルになった船は元病院船の博愛丸である。
カムチャツカの沖で蟹を獲り、それを缶詰にまで加工する蟹工船「博光丸」。それは、様々な出稼ぎ労働者を安い賃金で酷使し、高価な蟹の缶詰を生産する海上の閉鎖空間であり、彼らは自分達の労働の結果、高価な製品を生み出しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である大会社の資本家達に不当に搾取されていた。
情け知らずの監督者である浅川は、労働者たちを人間扱いせず、劣悪な環境の中で彼らは懲罰という名の暴力や虐待、過労と病気(脚気)で次々と倒れてゆく。初めのうちは仕方がないとあきらめる者や現状に慣らされた者もあったが、やがて労働者らは、人間的な待遇を求めて指導者のもと団結してストライキに踏み切る。
1926年9月8日付け『函館新聞』の記事には「漁夫に給料を支払う際、最高二円八〇銭、最低一六銭という、ほとんど常軌を逸した支払いをし、抗議するものには大声で威嚇した」ともある。本作に描かれる虐待の描写も、博愛丸事件や秩父丸事件をはじめ、当時いくつもの蟹工船でおきた事件の報道内容に基本的に沿ったものである。
乗船時期や船、立場(例えば職制として乗ったのか)などを検討する必要があるが、十分な賃金を受け取ったという証言もある。「脱獄王 白鳥由栄の証言」(斎藤充功)において、白鳥由栄は収監以前に働いていた蟹工船について「きつい仕事だったが、給金は三月(みつき)の一航海で、ゴールデンバット一箱が七銭の時代に三五〇円からもらって、そりゃぁ、お大尽様だった」と述べている。
蟹工船での虐待や奴隷的な労働がさかんに報じられたため、労働者集めに困り、処遇や労働条件の改善が図られたとの研究もある。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』